Staff 紹介
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鈴鹿300kmまでのいろいろ・・・3 1998年R1100Sが発売になる ・・・同時に「世界最大の草レース」を目指した「もて耐」が始まった 2回目の1999年「もて耐」にBMW R1100Sが参戦を果たす。 ライダーは齋藤栄治・小川順司・武藤昇 純粋なボクサースポーツクラブのライダーだ ドイツ製のピストン・カムシャフトを組み込んだR1100Sで練習に励む 齋藤・小川は12秒台、武藤は15秒台で走る。 毎週もてぎに通い、土屋さんは「武藤さん仕事大丈夫・・・?」等ときかれサーキット通いが続く夏 しかし結果は予選落ち、主催者推薦枠で決勝に出場するものの3度の転倒でマシンは大破リタイヤ 2000年会社にドイツ人のジャーナリストが長期にわたる取材で在籍することになった Mrシェルマー (お互いが認めているかは不明だが) 当時デイトナに出ていたDAS BOXER TEAMの130馬力のR1100Sがほしくないか・・・?とシェルマーさんが聞いてきた。 欲しいに決まっている・・・!! それから2か月が過ぎたころ 羽田にR1100Sの特別エンジン・カーボン外装・マフラー・CPUチップが届いた。 130馬力のR1100Sは本当に速かった・・・ なんと当時のノーマルタイヤで筑波を1分2秒台で走ってしまった (雑誌の取材で八代さんがライディング) それが、武藤の鈴鹿挑戦のきっかけであった。 2000年のもて耐決勝直前に「慣らしと最後のセッティング詰め」に筑波に行った小川 R1100Sの調整を終え、VTR1000でスポーツ走行時に転倒!!鎖骨骨折 カーボン製のシートも折れてしまい、その修理をお願いしたのがTRAS(当時は全て大文字)との出会い もて耐決勝は齋藤・近藤(小川の代理)・武藤の3人で走り見事完走・・・昨年の悔い晴らす その年にドイツに行きDAS BOXER TEAMの重鎮と会う シェルマーさん・マーダーさん・ユッドさん後方中央にいるのが、今やBMWの中心人物ハウザーさん そしてついに 2002年最新のエンジンを2基入手して鈴鹿8耐に初参戦 することになった。 ライダーは新垣選手と戸田選手 チーム監督は山田順、チーフメカニック柳澤勝由、当時のプレス広報向けのレポート記載します。 懐かしい・・・ 2002年8月吉日 BSC-08-02 ボクサー・スポーツ・クラブ(代表:高木 一生)は、BMW R 1100 Sを駆り“鈴鹿8耐”に参戦。8時間をノントラブルで快走し総合35位(Xフォーミュラクラス17位)で完走いたしました。 初出場から実に20年の歳月を経て一部20年前のスタッフと共に“鈴鹿8耐”に蘇ったBMW。 チーム監督山田純氏の指揮のもと、唯一の空冷マシン(決勝出場)での参加となった。 BMW R 1100 Sは8耐のスペシャリスト、新垣 敏之・戸田 隆両選手のライディングにより 総合35位(外国メーカー車トップ)のポジションを獲得しました。 ボクサースポーツクラブR1100Sは、 最後尾(主催者推薦枠)でスタートし、35位で完走! 周回数にして198周(距離にして約1160キロ・平均時速145km)を走りきりました。 予選前日の公式練習ファイナルセッションで、 第1ライダーの新垣選手が最終コーナーで転倒。 マシンが数メートル空中を舞うような大事故により、 前後ホイール・カウル・フレーム・その他全く使えるものがないぐらいの大破をしました。 柳澤勝由をチーフメカニックにBMWモーターサイクルマイスターによる徹夜の修復作業により、 スペアマシンを本番マシンに仕上げ予選に出場することができました。 しかしながら、 ボロボロになったつなぎ・後頭部に大きな裂傷の跡があるヘルメットを見ると、 腰のあたりから落下し、路面を数十メートル擦ったことが確認でき、衝撃の激しさを物語っています。 奇跡的にもライダーは小指にキズを負う程度ですみました。 予選において、新垣選手が驚異的なタイム”2.17.675”をたたき出すことができたのも、素晴らしいライディングギアとブリヂストンタイヤのおかげです。身をもって用具の安全性を立証することができ、あらためて「もしもの時の保証」の重要性を確信いたしました。 皮ツナギはクシタニ「Kマーク」とグローブ、ヘルメットはアライ SIGNET-RR を着用しております。 空冷2気筒のため、 ストレートでのトップスピードが他のマシン比べ40キロ近く遅く、 ホームストレートやバックストレートではラインを譲る場面も多く、悔しい思いをしました。 しかし、インフィールドでは徹底して勝負をしかけ、抜き返す・・・という言わば「死闘」を展開しました。 当初一回の給油で32周を走るペースは22秒から25秒、 とにかく完走を目指す・・・という山田監督の指示もありましたが、 新垣・戸田選手の「死闘は18~22秒で周回」し、 新垣選手が攻め、戸田選手が守る・・・というスタイルを8時間貫きました。 今夏の挑戦:タイヤ編 タイヤ交換は時間がかかります。 クイックリリース機構を持たないR1100Sを効率的に走らせる為に無謀とも思える「挑戦」を行いました。 ピットイン毎に前後タイヤを同時に交換するのが一般的ですが、 なんと当初は150~160分(64周相当)をタイヤ無交換で走りきろうというものです。 それにより2回交換(3セット)で8時間を走り、 ピットストップ時間を短くすることで周回数を稼ぐ手段。 ライダーには異常なまでの負担がかかります。 新垣選手が新品タイヤで約75分走行後、そのまま戸田選手が走ることの繰り返し。 それが“新垣選手が攻め戸田選手が守る”意味合いです。 実際は28~29周のペースで走り、140~145分(58周程度)を1本のタイヤで走りきったこと。 190kg以上ある車体を2分18~22秒でささえたブリヂストンタイヤのグリップ力・耐久性に感激! BSタイヤの耐久性・グリップ力、戸田選手の忍耐力に感謝! 2002年僕らの鈴鹿初挑戦は198周だった! 何かが足りない あと2周したい 夢の200周をしたい・・・その野望が 今回、鈴鹿に戻ってきた理由のひとつ 忘れてきた2周を取り戻すために・・・挑戦を続ける
by go_suzuka8h_bmw
| 2010-06-22 20:35
| ムトウの独り言
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